PEACE DAY財団では、活動を応援してくださっている特別会員の皆様からいただいた会員費の一部を、毎年平和活動に取り組む5つの団体にご寄付させていただいています。
今年の寄付先団体の皆様よりメッセージをいただきましたので、ご紹介いたします。
4団体目は、世界中の若者たちが作成した平和や社会課題をテーマにしたショートムービーの祭典『国際平和映像祭(UPFFF)』です。
一般社団法人国際平和映像祭、代表理事関根健次です。今年の国際平和映像祭(UFPFF)2022についてご報告致します。平和やSDGsをテーマに映像制作にチャレンジする学生達を応援したい。映像をきっかけに、互いを知り相互理解を深めてほしい。そんな願いから開催している国際平和映像祭も今年で12回目を迎えました。
今年は初の長崎開催でした。戦争で唯一原子力爆弾が透過された2つの都市の一つで開催した理由は、ファイナリスト学生監督達に、長崎の経験を学んでほしいという理由がありました。新型コロナ感染症にかかわる渡航制限から、海外の学生監督達は招聘できませんでしたが、国内ファイナリストには、前日プログラムとして実施した長崎平和ツアープログラムに参加していただきました。2022年度 核兵器廃絶市民講座「核兵器のない世界をめざして」に参加後、平和案内人によるガイドで長崎原爆資料館、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館、そして平和公園周辺の被爆建造物等を一緒に巡りました。ツアー後は、海外ファイナリスト学生監督も交えてファイナリスト交流会を実施しました。
今年のエントリー数は世界47か国から189エントリーでした。去年は45か国から237エントリーでした。参加者数はリアル・オンライン含めて176人(リアル40人、オンライン136人)。オンライン開催のみだった去年は参加者100人でしたので参加者は増加しましたが、国際平和映像祭(UPFFF)2022開催当日の9月18日は、台風接近により飛行機の欠航や公共交通機関が軒並み運休となったため、極めて低い出席率となりました。
それでも何とか出席してくれた参加者、ファイナリスト、審査員と、オンラインで参加したファイナリストや参加者と、映像、音楽、トークで平和を体感出来る1日を実施しました。
世界中からエントリーがあったものの、今回の受賞作品は東アジア3か国、韓国、日本、中国の作品となりました。
見知らぬ土地で見慣れた出会い、ここにはいかなる障壁も存在しない。 線路で偶然在日韓国人(リョンオク)に出会った韓国人留学生ナヒ。育ってきた環境、思想など多くのことが違っていたが、二人はお互いに親しみを感じるようになる。
世界的に評価される陶芸作品を作るしんちゃん(41)。彼は自閉症を抱えながらも、陶芸に出会うことで才能を開花させた。その環境を整え、最も近くで支えてきた、支援員の池谷正晴氏(90)の話を通して、障害者への支援のあり方を提起するドキュメンタリー映像作品。
想像したのは深刻な環境汚染によりすべての人間が突然変異を起こした未来の世界。COVID-19、核放射線、スモッグの影響で人類は変形し始める。滅亡を避けるため、私たちは異形の存在を受け入れ始める。本作を通じて、すべての人に世界を守る意識を喚起したい。
今年のエントリー数は世界47か国から189エントリーと、去年に続いて多種多様な作品が世界各地から集まりました。今の世界で起きていることを反映させるように、ウクライナやロシアからも多数エントリーがありました。ファイナリスト作品としても、ウクライナ戦争関連の作品が数作品残りました。このように世界中、そしてウクライナ関連の作品も多いなか、今年の受賞作は、偶然ながら日中韓3か国の学生たちの作品となりました。受賞監督たちの今後の活躍が期待されますし、惜しくも受賞を逃した監督たちも同様です。
台風接近により極めて難しい状況下での運営となりましたが、ファイナリストの一人が自分の1分間しかないスピーチ時間に、過去の国際平和映像祭受賞監督で現在ミャンマーで拘束されている映像作家久保田徹さんのことを伝えたことには感動しました。彼の一後も早い解放を引き続き願っています。
また、やはりファイナリスト一人で中国からの留学生に「9月18日は何の日か知っていますか?」と問われて答えらませんでした。知ってはいましたが、すぐに思い出せなかった自分が恥らしく思いました。国際平和映像祭(UFPFF)2022を開催したこの日は日中戦争が勃発するきっかけとなる「柳条湖事件」が起きた日だったのです。彼女には審査会が始まった直後にこのことを話していただきました。
このような学生たちの熱い思いには心動かされました。今回の受賞作やファイナリスト作品を多くの方にご覧いただける機会を別途作りたいと考えています。また、今年も新型コロナウイルス感染症に関する渡航制限により海外からの学生監督たちをお招き出来ませんでしたが、来年こそはと願っております。