2025.09.22 Event

【レポート】戦後80年×万博、9月21日という特別な日に生まれた未来への対話

2025年9月21日、大阪・関西万博のEXPOホール「シャインハット」で開催した「PEACE DAY 2025」は、音楽フェスともトークイベントとも少し違う、なにか特別な場所であったと思います。音楽やアート、そして言葉を通じて、未来の平和をどう自分事として考えられるか、そのヒントを探すような、ある意味、とてもパーソナルな体験を、多くの人に手渡せたのではないでしょうか。

 

その象徴とも言えるのが、「Sing for Peace – 200ヶ国の歌がつなぐ一枚絵」プロジェクトでした。200ヶ国以上の国歌を歌えるKENT(本間健太郎)さんが手がけたこの企画では、万博会場の各国パビリオンスタッフの方々が「PEACE DAY」のカードを掲げ、一枚の大きな写真を作り上げました。多様な文化や背景をもつ人々が、「平和を願う気持ち」という一点で繋がり、笑顔で写真に収まる。歌と写真の力が、目に見えない平和への想いを可視化したこの取り組みは、多くの人の心に温かい共感を広げていたように思います。

一日を通して、会場には素晴らしい音楽が流れていました。オープニングの荘厳な創作歌舞伎に始まり、歌やバイオリン、ドラムのワークショップ、そしてMay J.さんの心を震わせる歌声や、SUGIZOさんが奏でる魂のギターサウンドなど、アートは理屈抜きに、いとも簡単に言葉や文化の壁を越えていく。パフォーマンスの合間には、さまざまな方からの平和へのメッセージが読まれ、そのたびに自分の心の中で「平和とはなにか」を自問自答する時間を過ごしました。しかし何よりこの日の空気を決定づけたのは、トークセッション「戦後80年目の平和への世界巡礼『HOPE80』」で語られた、彼らの生きた言葉でした。

ただ、そこにいるという事実の重み

このイベントで最も多くの人の心を揺さぶられたのは、かつて敵対した歴史を持つ指導者たちの子孫が、同じステージに立っているという、その光景そのものだったのではないでしょうか。第二次世界大戦において、太平洋を挟んで戦った日米。かたや、原爆投下を承認したアメリカのトルーマン大統領、かたや、戦時下の日本を率いた東條英機首相。その孫とひ孫が、今、隣に座っている。さらに、ヨーロッパの戦線において、ナチスドイツの強制収容所で多くの命を奪った加害者と、そこで家族を失った被害者。その子孫たちが、同じマイクを共有しているのです。この歴史のコントラストこそが、何よりも力強いメッセージでした。

ハリー・トルーマン元米大統領の孫、クリフトン・トルーマン氏が語った「メッセージそのものは、私たち全員がここに共にいるという単純な事実ほどには、重要ではないのです」という言葉は、まさにその場の空気を言い表していました。平和とは、何かを主張し合うことからではなく、まず同じ場所に座り、対話を始めることからしか生まれない。その静かな、しかし圧倒的な事実が目の前にありました。東條英機氏のひ孫である東條英利氏が「ようやくクリフトンさんとお会いできたことは、自分にとってもすごく大きな励みにもなりました」と語った時、歴史の教科書の中の出来事が、今を生きる私たちの物語と繋がったように感じました。

平和は、自分の心から始まる

この日、とても大事だと感じたのは、具体的な「行動」のヒントでした。マハトマ・ガンジーのひ孫、トーシャ・ガンジー氏は、万博の日本館を例に挙げ、「非暴力」の新しい形を示してくれました。

「私たちが生み出すゴミ、廃棄物、汚染は、私たちの環境に対する暴力です」という言葉には、ハッとさせられました。そして、廃棄物を資源へと転換する技術を「自然との平和であり、実践における非暴力です」と語った時、平和がぐっと身近なものに感じられたのです。戦争に反対することだけが平和活動ではない。日々の暮らしの中で、環境に配慮したり、持続可能な社会のために小さな選択を積み重ねたりすること。それもまた、現代における確かな平和への貢献なのだと気づかされました。

日常の中にこそ、平和は宿る

この日、とても大事だと感じたのは、具体的な「行動」のヒントでした。マハトマ・ガンジーのひ孫、トーシャ・ガンジー氏は、万博の日本館を例に挙げ、「非暴力」の新しい形を示してくれました。

「私たちが生み出すゴミ、廃棄物、汚染は、私たちの環境に対する暴力です」という言葉には、ハッとさせられました。そして、廃棄物を資源へと転換する技術を「自然との平和であり、実践における非暴力です」と語った時、平和がぐっと身近なものに感じられたのです。戦争に反対することだけが平和活動ではない。日々の暮らしの中で、環境に配慮したり、持続可能な社会のために小さな選択を積み重ねたりすること。それもまた、現代における確かな平和への貢献なのだと気づかされました。

「PEACE DAY 2025」を終えて会場を後にする時、それぞれの心に残ったのは、華やかなパフォーマンスの記憶だけではなかったと思います。例えば、平和とは誰かが与えてくれるものではなく、私たち一人ひとりが、日々の暮らしの中で見つけ、育てていくものだという静かな実感。例えば、この日「シャインハット」で生まれた温かな繋がりの感覚と、登壇者たちが示してくれた対話の力。こういったものこそが、私が未来に持ち寄るべき大切なにかなのではないか、そんな思いとともに終えた、今年のPEACE DAY。

本当はPEACE DAYなんて必要がないくらい、平和な世界になってほしい。だから「また来年」とは言いたくありません。

一人ひとりの毎日に、PEACE DAYがあり続けますように。