3月28日、ガザ地区とイスラエルを隔てる境界まで2km地点の地を訪れました。2km先に見えるガザは廃墟となっている様子が見えました。イスラエルは3月18日に停戦を破ってガザへの攻撃を再開しており、訪問中は一度だけ爆発音が聞こえました。
ガザ地区に入ることは基本的に不可能ですので、今回は2023年10月7日に、ハマスがガザからフェンスを破ってイスラエルに侵入し、約1,200人の人々を殺害したグランド・ゼロをいくつか訪問しました。その訪問地の一つが、ニールオズというキブツ(生活共同体)です。
キブツの敷地内からはガザを眺めることしか出来ませんでした。空爆に怯え、空腹に苦しんでいる人々のことを思うと、もどかしい気持ちになりました。イスラエル側では、春を迎え、トラクターが畑を耕している様子が見えましたが、他方、ガザ側は灰色の死の世界です。この「生と死」、「天と地」の対象的な世界が共存している様子に、これまでで最も頭を悩ましました。「どうしたら、イスラエルとパレスチナは平和的に共存できるのだろうか?」と。
ニールオズはハマスによる攻撃で最も被害が大きかった場所の一つです。約400人の住民の4分の1が殺されるか人質になり、ほとんどの建物が破壊された場所です。今回、ニールオズの元住人、リタ・リフシッツさんがキブツを案内してくださいました。
実はリタさん自身の義父がハマスに囚われ、ガザで命を落としています。10月7日、義父母の暮らす家に侵入したハマスの戦闘員は、シェルターに隠れていた義父母2人ともをさらって、ガザに誘拐しました。義母のヨへベッドさんは17日後に開放されましたが、義父のオデッドさんはガザで体調が悪化し帰らぬ人となりました。ようやくご遺体がイスラエル側に引き渡されたのは500日以上経過した後でした。
オデッドさんは、ジャーナリストで平和活動家だったそうです。毎週、ガザでは十分な医療が受けられないがん患者の子どもを、ガザ境界まで車で迎えに行き、イスラエルの病院に連れて行くボランティア活動をしていたそうです。
「状況が落ち着き次第、私も義父の遺志を受け継いでがん治療を必要としているガザの子どもたちをイスラエルの病院に送り届ける活動をしたいと思っています。」
義父がさらわれ、棺で帰って来たというのに、イスラエルとパレスチナの間の平和に貢献したいと語った彼女の強さには心を揺さぶられました。オデッド・リフシッツさんの家を訪問した様子をまとめた映像がありますので、ぜひご覧ください。
オデッドさんの実子で美術講師・映画監督のシャロン・リフシッツさんも、CNNのインタビューで、
「私たちはこれらの人々、私たちのコミュニティにやって来て殺害した人々との平和を築かなければならない。」
「私は人間性を信じている。そして、すべての困難を乗り越えて、これらの人々との合意に達しなければならないと信じている。」
と語っていますが、彼女の人間性を信じる姿勢にも驚かされました。
今回の訪問で、このように身近な家族を失ってもなお、報復ではなく平和の道を模索する人々の存在を知れたことには小さな希望を見出しました。ユナイテッドピープルが去年配給した映画『私は憎まない』の主人公でガザ出身パレスチナ人医師、イゼルディン・アブラエーシュ博士の平和を追求する信念にも通じるものがあります。どちら側でも「憎しみの連鎖」をなんとか断とうとしている人たちがいるのです。
他にも、TEDトークでイスラエル人平和活動家のマオズ・イノンさんはご両親をハマスに殺害されていますが、それでも「報復しない」「和解の道を選ぶ」と、パレスチナ人平和活動家のアジーズ・アブ=サーラさんとの対話で発言しています。
しかし、現実に目を向けますと、今日現在(2025年5月23日)、イスラエルによるガザへの攻撃が続いており、食料や医薬品の搬入がほとんど認められておらず、ガザの人々は地獄のような日々を過ごしています。一刻も早く停戦し、ガザに囚われた人質の開放と、ガザの人々が生き延びられるように緊急支援物資が運ばれ、和平のプロセスが前進することを願っています。