peace of words words of peace

人類が戦争から卒業する日へ

2024.03.01
関根健次

たった1日からでもいい。
世界で戦争のない日を創ろう。
そうやって制定されたのがピースデー、9月21日です。

非暴力と休戦の日であるピースデー制定のために
奔走したのがジェレミー・ギリーさんです。
1日が実現できれば、2日、3日、1週間と伸ばしていけるはず。
そしてやがては365日、この世界から戦争がなくなる日を実現すべく、
ピースデーが始まりました。

毎日がピースデーとすることが最終的なゴールです。

長崎原爆投下を目撃したジェレミーの祖父

ピースデーと日本は深いつながりがあります。
ジェレミーの祖父はイギリス人の軍人でした。
シンガポールで日本軍と闘い、捕虜となり、
福岡の大牟田市の捕虜収容所に送られました。

写真:ジェレミーの祖父

彼は1945年8月9日、長崎原爆投下をその捕虜収容所で目撃。翌月長崎港から引揚船に乗り、
イギリスへと帰って行きました。
長崎港に至る道程で、原爆投下の様子をもちろん目撃していますし、
被爆もしているわけです。ジェレミーが11歳の時に
彼は血の病気で他界しますが、家族は被爆が原因だったと信じています。

ジェレミーが、戦争のない世界を目指すことになった原点として、
祖父の戦争体験があったことは間違いありません。
戦争のこと、原爆のことを聞いたことでしょう。

そんな祖父からジェレミーが学んだことの一つは、赦しだったといいます。
戦争捕虜になるという体験をしているにもかかわらず、日本人がイギリスに来たと聞けば、会いたがり、すすんで交流。憎むようなことはなかったのだといいます。

もう2度と戦争が起きないように。世界から戦争がなくなるように願う原点として、このような祖父の存在があったのです。

国連の書店で手に取った映画『ザ・デー・アフター・ピース』

写真左ジュード・ロー 右ジェレミー・ギリー 映画『ザ・デー・アフター・ピース』より

ピースデーの存在を知ったのは、映画を通じてでした。

ある日国連本部で売られていたドキュメンタリー映画『ザ・デー・アフター・ピース』のDVDを購入して、
何気ない気持ちで観ていると、ジェレミーが不屈の精神でピースデーを制定させていく様子が描かれていました。

正直、飛び上がるほどの衝撃を受けました。
たった一人の決意した男性がこれほど大きなインパクトを生み出すことができるのかと。
彼は元々映画人だったので、映画の力を熟知していました。
ピースデー制定のプロセスを映画化することで、世界中にピースデーを広めることに成功したのです。

現在、『ザ・デー・アフター・ピース』日本語字幕版がYouTubeで無料でご覧になれます。

映画の力を使って平和を広げていく

当時日本での認知度が全くといっていいほどなかったピースデーを広めたい。
そう思って、2011年から始めたのが全世界の学生を対象とした平和をテーマとした映像祭、国際平和映像祭(UFPFF)です。ジェレミーのように、映画・映像の力を使おうと思ったんです。

また、経営している映画会社ユナイテッドピープルでは、世界の課題をテーマとした主にドキュメンタリー映画の配給や制作を行っていますが、
誰でも映画の上映会が開催できるcinemoを通じて、日本中に世界の課題を知るキッカケ作りを行っています。

共に平和になれる世界を

一方の平和は他者の不幸。そのような平和ではなく双方が平和的に共存していく世界を構築しなければなりません。
そもそも、人が人を殺すという行為が国をまたぐとご合法であるということが異常な状態ではないでしょうか?
どんな時も人が人を殺すことは非合法であり、結果として人類が戦争から卒業する。
そんな日を夢見て行動を重ねています。ぜひ共に、平和のためにご一緒しましょう。