peace of words words of peace

地道な活動の大切さに思いをはせる日

2024.08.21
土井香苗

東京にも、そして日本各地にも、80年前には爆弾が降り注いでいました。そして今も、世界中の多くの土地で、何の罪もない子どもそして大人の上に爆弾が降り注いでいます。

世界平和そして戦争について考え始めたのは、小学生の頃だったと思います。「火垂るの墓」だったでしょうか、小学校で戦争映画をみて、心底怖かったのです。

そして中学生・高校生になり、世界では戦争が起き続けていることを知り、戦争に関連するニュースやノンフィクションの本を読み漁りました。そんな中、高校1年生の夏休みにイギリスにホームステイ。同室だったクロアチア人のイバナとはとても気が合い、楽しいひと夏を過ごしました。しかし帰国間もなくクロアチアで戦争が勃発し(ユーゴスラビア紛争)、彼女は両親から離れてひとりで国外に避難を余儀なくされました。私と同い年、つまり高校1年生だったと記憶しています。本やニュースで接していた戦争が突然身近になりました。何の不安もなくふたりで楽しく過ごしていた夏を思い出し、戦争はいつどこで起こるかわからないと衝撃を受けました。戦争避難民になったイバナを励ましたいと何度も手紙を書いたものです(当時はインターネットはなかったので)。大学生になると、行動を始めました。紛争の爪痕がまだ残るユーゴスラビアの一人旅から始まり、大学4年生の1年間をアフリカの小国エリトリアで過ごす決心をしました。エリトリアは30年に及ぶエチオピアに対する独立戦争を経て1993年に正式にエチオピアから独立したばかりの国で、自国の法律を作り始めたばかりでした。法学部学生だった私は、法律作りの手伝いをするボランティアの傍ら、エリトリアに残る戦争の爪痕を自分の目でみたり、隣国にある難民キャンプを訪れたりするため、1997年にエリトリアの地に降り立ったのでした。

エリトリアから帰国した後の2000年に東京で弁護士になってからは、通常業務の傍ら、母国での迫害から逃れた難民申請者たちの法的支援活動にのめり込みました。中国、イランなど様々な国からの難民申請者を弁護しましたが、特に力を入れたのがアフガニスタン人難民申請者(とくにハザラの人びと)の弁護でした。2001年に911の同時多発テロ、そしてアフガニスタン戦争が始まり、日本でも多くのアフガニスタン出身の難民申請者が強制収容施設に拘束されていたのです。

2005年には、国際法を学ぶために米国のNYU(ニューヨーク大学)法科大学院に留学。卒業後はニューヨークに本部があるあこがれの国際人権NGO、ヒューマン・ライツ・ウォッチに入ることができて、今に至ります。ヒューマン・ライツ・ウォッチでは、国際人道法・国際人権法、つまり「法律」から戦争と平和にアプローチしています。国際人道法は、紛争時に適用される法律ですので、戦争に直接関連する国際法です。一般市民などを紛争被害から守るルールを定めたり、化学兵器などの非人道的な兵器の使用を制限・禁止したりして、戦争での非人道的な行為に歯止めをかけています。こうした国際ルールが守られ、強化されるよう活動するのが私の仕事です。また、戦争犯罪等が処罰なしに放置されないようにすること、たとえばオランダ・ハーグにある国際刑事裁判所の活動の強化・支援なども仕事のひとつです。

一方、戦時だけでなく平時にも適用されるのが国際人権法です。人権危機がもたらす世界的インパクトは重大です。基本的人権と自由の侵害、経済的・社会的権利の剥奪、マイノリティ集団への大規模な暴力、そうした数々の人権侵害の責任が問われない状況――この先に人権危機が起きます。人権危機がもたらすのは、人道に対する罪、国内避難民や難民の発生や耐え難い苦しみ、無数の残虐行為にまみれた紛争と内戦などです。第二次世界大戦がもたらしたおぞましい惨状は、ひとつの教訓を後世に残しました。世界人権宣言(1948)の前文にはこう記されています。「人間が専制と圧迫とに対する最後の手段として反逆に訴えることがないようにするためには、法の支配によって人権保護することが肝要である」と。各国政府には自国で人権を守る法的義務が課されていますが、各国の政権がこの義務を果たさない場合、国内には不満や不安定、そして最終的には危機へと至る不満の種がまかれていきます。人権侵害に手を染めるこうした政権は、阻止・牽制されなければその行動をエスカレートさせ、腐敗や検閲、不処罰(impunity)そして暴力こそが、自らの目的達成のために最も効果的な手段だという信念を強めていってしまうのです。人権侵害の放置は大きな代償を伴いますのでその波及効果を過小評価すべきではないのです。

そうはいっても、多くの方々は、国際人道法・国際人権法がしっかり守られる世界はあまりに遠いと感じられるかもしれません。でも、とくに第二次世界大戦後、国際人権運動の高まりの結果、NGO、メディア、市民などが、世界各国で国際法の遵守を監視・報告してきた結果、市民などの戦争犠牲者の数はずいぶんと減ったと思います。もしこうした活動がなければ被害は大幅に拡大したに違いありません。

私たちひとりひとりが諦めることなく、一歩一歩、しかしできるかぎり戦略的に動いていくこと。そんな地道な活動の大切さに思いをはせる日がピースデーなのではないでしょうか。